【後編】高畑正幸/文具王「日本でブラッシュアップされた文具はたくさんあります」
万年筆を愛する方に、その出会いと魅力についてお話していただく「Life&Pen」。第30回は、文具王として知られる高畑正幸さんです。前編後編でお送りします。
職業:文具王
保有万年筆:約30本
文具の歴史を探ることで世界が見えてくる
ーーー文具王を前にしてする質問でもないのですが(笑)。文房具以外に興味があることはありますか?
「僕は文房具王と名乗っているので、『文具の人』って思われていると思いますが、YouTubeでは製品の設計の仕方、仕組みを解析したり、エンジニアリングの話もしています。かたや、文具の歴史を探ることで、人類史、文化史を語ることも。文具のデザインも語りますよ。語る内容はその時々によって様々で、それらの素材として文房具を使っている、というだけ。僕の興味は場合によっては、1万年前の話だし、宇宙の話にもなります。例えば、宇宙に行くときにどんなペンを持っていったらいいのかが最初の頃はわからなかったから、みんなが考えて加圧式のペンが登場しました。文房具を探ると、いろんな世界が見えてきます」
ーーー世界史も詳しいのは、文房具発端だったんですね。
「ナポレオンが部下に鉛筆を作らせたときには、イギリスとフランスは戦時下。イギリスでしか塊状の黒鉛がとれなかったため、フランスでは手に入りません。だけど戦略上、モバイル筆記用具は必携。その当時はつけペンしかなかったので、携帯しやすい鉛筆を持っているかどうかは、軍事的に意味があったんです。それで部下に作れって無茶振りをしてコンテが作ったわけじゃないですか。これは鉛筆を通した軍事の話ですよね。紙がヨーロッパにやってきて印刷がしやすくなりました。そこでグーテンベルクが活版印刷を作った。すると、聖書が増えます。聖書が増えたら『教会が言っていることは違うのではないか』と疑問に思う人も増える。それで宗教改革が起こります。これは世界史と繋がりますね。文房具をベースに語っていますが、もっと広い視野で話をしています」
ーーー文房具で何でも語れてしまいますね!
「ブルーブラックのインクが書いた後に変色していくのは、化学の話だし、興味のあることはいろんな場所にあります。それを最終的に文房具に絡めて話をすれば、伝える出口としてはちょうどいい。文房具は工業製品だし、化学も物理も利用して作られています。世界史とも経済とも繋がっているんです。学生のときは、世界史も日本史も、まったく興味がなかったんだけど、文房具の歴史をたどると結果的に繋がってくるんですよね」
文明には文房具の存在が必要不可欠
ーーー歴史を残すのには必ず、「書く道具」は必要だったわけですもんね。
「そうそう。文明が生まれる要素の中に文字は必ず入ります。農耕ができて、集約的な社会ができて、都市ができることと同じように文字の存在は文明の重要な要素です。文字があるということは、書く道具があるってことじゃないですか。その時点で、文房具あったということ。道具が変わると、便利になる。便利になったら社会が変わるんです。紙が発明されたことによって、文字を書くコストが激減します。それによって、管理できる規模は拡大し、文字の伝達方法が変わり、社会も変わっていきます」
ーーー人類の発展に文房具は必要不可欠なわけですね。
「歴史を追いかけるのがすごく面白くて。紙の歴史、筆記具の歴史を辿っていくと、戦争が絡んできたり。ボールペンがアルゼンチンで発売されるのですが、その理由にも歴史が深く関わっています。元々はハンガリーに住んでいたユダヤ人のビロという人が発明するのですが、第一次世界大戦のときにユダヤ人という理由で迫害を受けます。フランスに亡命をしますが、戦後にフランスも危険になり、第二次世界大戦が始まった頃にアルゼンチンに逃げて商品化ができるんです。その後に北米大陸に持っていき、ブレイクします。世界が繋がっているわけですよ。もしユダヤ人の迫害がなくて、第一次、二次大戦もなければ、ボールペンはハンガリーとかヨーロッパで商品化されたはず。そういうことが世の中には起きています。日本にはボールペンが戦後に進駐軍と共に入ってきて、日本でも作られるようになります。万年筆は明治にはすでに入ってきていますね」
日本は国が安定しているおかげで文房具が発達している
ーーー日本にはいい文房具が多いと思うのですが、その理由は何ですか。
「すごく昔から文房具を使う国だったっていうのがあると思います。紙が発明されて日本にやってきたのは6世紀の終わり頃。7世紀には日本で作られ始めます。ヨーロッパに伝わるのは13世紀〜14世紀なんです。ドイツが14世紀でイタリアが12、3世紀かな。700年とか差があるんですよ。それに日本は、紙を作るのに有利な国。日本は、高温多雨で植物が育ちやすい。切り立った山が多く、川の流れが急です。ということは、川がきれい。川がいっぱいあって、日本中どこでも植物から原料がとれて、水がきれいということは紙作りにめちゃくちゃ適した国ということ。だから、日本は狭い国なのに、紙作りがものすごい勢いで普及するんですね」
ーーーそうなんですね!
「そう。さらに大陸と分断されているから戦争が少ない。戦国時代はあるけれど国の中だけで起こったこと。正倉院には、1000年以上前の書類が残っています。あれが焼けずに残っているのは、日本が安定していたからです。また、紙が手に入りやすく、比較的庶民も使えたことにもあります。日本には、1000年前の女流文学があるわけじゃないですか。大河ドラマの『光る君へ』の話ができるっていうのは、ちゃんと紙に書かれて残っていたから。鎌倉時代には物を包むために紙を使っていたし、江戸時代には庶民が折り紙や紙のおもちゃで遊んでいました。瓦版があって、浮世絵があって、コストが安いから布のかわりに服も作ったし、壁にも貼りました。漆や柿渋を塗って防水の軽量バックも作られています。日本には紙がすごく普及していました。だから寺子屋のような学び舎も存在できるわけですよ」
ーーー日本の文房具が安価なのって、その時代から始まっているということですか。
「昔から庶民が手に取りやすいものであったと思います。だから、日本の文具はペンが100円から買えちゃう。ジェットストリームは発売当初、150円かな。フリクションが200円ぐらい。その後に高級品が出ます。ヨーロッパは逆です。新しい筆記具は2万〜3万円のスタートなんです。向こうは良いものは、お金持っている貴族や富裕層が使うべきだという考えがあります。その後に庶民に分け与えてあげるという流れ。新しいテクノロジーは高いのが当たり前です。ところが日本の商品作りは、世界最高に書きやすいボールペン作ったぜ!150円です!と売り出すわけじゃないですか。ようやくみんなが使い始めたら高級ラインですって言って1000円みたいな。ヨーロッパとは考え方が真逆なので、普及するスピードも全然違うんですね」
ーーー使う人が増えたほうが発展もしていきますよね。
「正倉院に残っている光明皇后が書いた巻物はすでに色違いの紙を継ぎ合わせて遊んでいます。カラーペーパーが当時からあったし、絵の描かれたファンシーペーパーがすでに正倉院に残っているんですよ。平安時代に女性は、男性と付き合うためにかわいい紙におしゃれな文章をいい感じのエモい文字で書いて、しかも、海外から手に入れたお香を炊いていい香りをつけて渡すわけです。『この人、素敵』というのを手紙で伝える。逆に言えば手紙でしか自分のパーソナリティを伝えられない時代なので、文房具が非常に重要になります。男性も素敵な詩が書けないと、女性に相手にもされない時代。どんなかっこいい文字を書くかもそうだし、どんな紙に書くかもそうだし、今以上に文房具の素敵を追求していた時代が1000年前の日本に存在しているわけなんですよ」
ーーー紙の技術はすでに平安時代にそこまで発展しているんですね!
「貴族たちは、キラキラの金箔の紙とか自分が思う素敵な紙をわざわざ職人に作らせていたわけです。地方によって違う紙が開発されて、産地によって紙の種類が違っていて、質も違う。それを使う人達はちゃんとわかっていたので、文化の歴史は始まっていたと思います」
日本発祥の文房具は山ほどある
ーーー文房具といえばヨーロッパのイメージも強かったのですが、日本も負けてないですか。
「日本にある文房具のほとんどは、明治時代に入ってきたものなんですね。江戸時代の終わりまでは、ほとんど墨と筆でした。明治時代になって開国と同時にヨーロッパにいった紙がぐるっと回って欧米から流入してくる。和紙は質が高かったけど情報密度が低かったので、海外から入ってきた手帳やペンが注目されました。日本は島国なので、中で純度を上げるんですよ。だから、日本に入ってきたものを勝手に改良していきます。最初は真似なんだけど、戦後に入ってきたボールペンも日本で改良されて、ゲルインクや水性インクが発明されました。消せるボールペンもそうだし、サインペンも。シャーペンの芯の樹脂芯と言われるものも日本です。日本でブラッシュアップされたものって山ほどあるんですよ」
ーーー日本では今も新商品がたくさん作られています。
「世界はITに舵をきっているので、正直、新しいものを作るという発想はないかもしれません。アジアで台湾や中国、韓国はまだ新しいものが作られていますが、ヨーロッパは作っていないかな。万年筆も軸がかっこいいものは、いくらでも作るけど、書き味が激的に上があったものは作っていないと思います。日本は、中身をどんどん改良しているじゃないですか。ペンだって、ジェットストリームからライトタッチインクが出ましたし。そういう中身にこだわったものが出ているのって日本だけなんですね」
ーーーこんなにいい文房具が出続けているなんて素晴らしい!
「例えば、ホッチキス。閉じるときに半分の力で、倍の量が閉じれますという商品は、途中まで海外でも開発されていました。ただ、十分に実用的なレベルに達すると、それ以上のものは改良しません。でも日本は延々に止まらないんだよね。ずっと改良を続けています。多分海外の人たちは、デジタルが主流でアナログにこだわる意味はないと思っています。その中で、日本人はまだこだわっている。これって稀有なことです。ここ20年ぐらい新しい文房具はほぼすべて日本発ですね」
ーーーそれは、観光で来た外国人が日本で爆買いしていくわけですね。
「ボールペンになんで、こんな種類がいるのか!って思っていると思います(笑)。日本は手で書くことへのこだわりが圧倒的に繊細ですよね。わかる人がお客にいないと売れないし、いいもの作っても意味がないけど、新しい新商品出したら、買いに来る人がまだまだいる。『なんか書き味がいいかも』とか言っているのは、日本人だけです(笑)。世界的には、文房具って完成されちゃっているんですよね」
ーーーデジタル化が進んでもアナログはなくならないと思うので、今後も日本の文房具は注目されそうです。
「文房具はクールジャパンのひとつであるとは思います。新しい商品が発売されることを待っている人がいるし、海外需要もあります。単価が安いので、輸出業としては大きなメーカーしか利益が出ていないのが改善すべきところ。小さい世界ではありますが、日本のお土産のひとつが文房具になるのはいいことだと思います」
お気に入りの1本:PILOT/ELABO
手紙や文章を書くときには、ELABOを使っています。FとMを持っていて、Fはかなり使っているので、ペン先が丸くなってきました。