長原幸夫/万年筆ペン先職人「頭の中とペン先が直結して動くようになるのが理想」
万年筆を愛する方に、その出会いと魅力についてお話していただく「Life&Pen」。第36回は、全国の文房具店や海外のペンショーで万年筆のペンクリニックを開催している、万年筆ペン先職人の長原幸夫さんです。
【ペンクリニックとは】
万年筆のペン先の調整をし、文字のかすれや引っ掛かり、インクの出の悪さなどを直してくれる。長原さんのペンクリニックが他と違うのは、不具合修理だけではなく、持ち主の書き方、好みに合わせてペン先を作り込んでくれること。先代である父親から受け継いだ長刀研ぎ、自身で編み出した細美研ぎなど独自のペン先を生み出しているのも特徴だ。

職業:万年筆ペン先職人
保有万年筆数:把握できないほど
技術は見て学んだ
ーーー長原さんは万年筆ペン先職人として独立され、「ペンクリニック(ザ ニブ シェイパー)」を起業されていますが、以前はセーラー万年筆に務められていたんですよね。そこでペンクリニック初代であり父親の長原宣義さんから技術を学んだんですか?
「結果的には父と共に長くセーラー万年筆の職人として働いていたのですが、入社当初はまったく違う事業部にいました。特技事業部という部署で主にパチンコの景品の営業です。今はなくなってしまった部署なんですけどね。その営業で伺ったパチンコ店の社長に『セーラーには同じ長原という名字の職人がいるよね』と話をされて『父のことだと思います』と話したら、『なぜ、息子の君は営業をしているんだ!』と少々怒られてしまって。急にスイッチが入りました。その社長から『同居しているのなら、自宅でも学べるだろう』と言われ、やってみるかと思ったんですね。それから平日は通常通りの仕事を行ない、金曜日の夜からは自宅で作業をする親父の横に座って、手元を見ながら万年筆のペン先をいじり始めて。週末はそんな風にして過ごしていました」
ーーーそうなんですね!てっきり、最初から先代と一緒に働いていらっしゃたのかと思っていました。
「自宅でペン先をいじり始めて、2年半ぐらいかな。けっこう面白いなって思い始めた頃、ついにセーラーの社長にバレましてね。急に広島までやってきて『いつからできる?』って。引き継ぎあるしって話しましたけど、1か月でやれって言われました(笑)。それで正式に親父の下に就くことになりました。2000年のことですね」
ーーー自宅での修行の末、突然の辞令だったわけですね。
「そうですね。親父は指導者ではなく、本当に根っからの職人。見て覚えなっていうタイプ。マニュアルなんてないですよ。富士山の頂上はあそこだよって言われて、どうやって登ればいいんですか?道がいっぱいあるんですが…。好きな道で行きなと言われて、とにかく上を目指して歩みを進めて行くような感覚。そうやって登るから親父と頂上の景色は違うわけですよ。頭の中で組み立てたプラン通りには、なかなかいかなくてね。自分でも1年後に、その時直したペン先を下手くそがって思うし、5年後なら何しよったんや!となります。技術は絶えず引っ張り続ける糸と同じで、たるんでしまったら終わりなんですよ。今でもまだ伸びしろがあるぞって気持ちでお客さまと対峙しています」
ーーー職人になると決めてから修行期間を含め、辛い時期もありましたか?
「いやぁ、楽しかったですよ。自分の目の前にパズルのような難題がある。それを時間内にどう攻略していくか。夢中ですよ。それが攻略できて、なおかつお客さまがニコッと口角を上げてくれたら、これほどいいことはない。しかもお金もいただけるんだから、楽しいばっかりです」

海外での経験を元に独立を考える
ーーーセーラーで調整の部署に配属されてから、実際にお客さまの前で実践を行なったのはどんなイベントでしたか?
「初めての実践は2002年。親父が行くはずだったワシントンのイベントに急遽代打で行くことになりました。1週間前にハシゴから落ちて背骨を圧迫骨折してしまって動けなくなり、本当に突然決まったんです。私は片言の標準語とネイティブな広島弁しかしゃべれませんから通訳さんと共に参戦ですよ。朝8時にオープンしたら、万年筆と名刺が並んでいて、メンテナンス、メンテナンス、ひたすらメンテナンス。声をかけられて、ひと息つこうと時計を見たら15時。トイレに行くのも水を飲むのも忘れてペンと向き合っていました」
ーーー初の実践が海外イベントだったんですね!
「親父の代わりに行ったのもあって、僕に対してお客さんの目も厳しくてね。全部、細字でオーダーされまして。流行っているのかと思ったら、私の腕を試していたんですよ。細字は誤魔化しがききにくいし、おまけにアメリカの方は多くの方が左利き。一筋縄ではいかないわけです」
ーーーすごい現場での実践デビューですね。
「私のことを認めてくださった方はイベントをしていた3日間、連続で来てくださいました。腕試しに渡した万年筆とは違う本気のペンを持ってくる人もいましたしね。セーラー時代、国内イベントがほとんどでしたが、海外イベントにも多数参加して、経験を積ませていただきました」
ーーー海外は、日本と違う点はありましたか?
「私らはセーラー万年筆としてイベントに参加していたので、基本的に調整料は無料なんですよ。だけど、アメリカでは万年筆のペン先職人が仕事として成り立っていて、アメリカ全土を周りながら生計を立てていらっしゃることがわかりました。その時に、自分の技術が仕事になるということに改めて気づきました」
ーーー日本ではあまりメジャーな仕事ではないように思います。
「その当時は、日本で生業にしている人はいなかったと思います。万年筆を売るついでにメンテナンスやアフターケアを行なっているお店はあると思いますが、独立している職人は少ないですしね」
ーーー長原さんが独立を考えたのは、いつでしたか?
「50歳のときかな。おぼろげに日本でも仕事になるかもしれないと思い始めて、55歳のときにはもう少し具体的に行動に移していました」
ーーーそして2020年に起業されたわけですね。準備をされていたののにも関わらず、独立されてすぐにコロナ禍が始まってしまったのは、不運ではありましたね…。
「2020年2月に定年退職をして、3月から始動と思っていた矢先の出来事でした。しかし、その中でも有料でペンクリニックを開催してくださった文房具店があり、個人事業主として晴れてスタートすることができました。来てくださったお客さまにも感謝です」

10万円でも数千円でもお客さまにとって大事なら同じ
ーーーお客さまが持ち込まれる万年筆の傾向はありますか?
「本当に様々です。最近だとキャップレスが多かったり、外国製も多いですね。以前、雑誌の付録の万年筆を持って来られた方もいました。メーカーのものはわりとすぐに調整できるんだけど、付録は初めて見る万年筆だし、これがまた難しいんだ。でも、付録の万年筆と例えば10万円の万年筆、どちらもその人にとっては大事なことには変わりない。思い入れがあるものなら、私は同じように調整するだけだと思っています」
ーーー思い入れがあるものだからこそ、長原さんに調整をお願いしたいと思っていらっしゃる方も多そうです。
「いろんな思いを持って万年筆を持ってきてくださるんですよ。お父さんの形見なんですって方がいて、古いものでメーカーでもパーツなんてないんですよ。中身を全部出して、劣化していたゴムを変えたら、直すことができました。それ見て、お客さまがポロポロポロって泣いてね。難題でも頑張って直し、お客さまに金額以上の仕事と言われたときは、やっててよかたって思います。嬉しいですね」
ーーー人生相談のような話ですね。
「とくに古い商品だと、メーカーでは直せないこともあるんですよね。生産が終わっていたり、在庫がない万年筆だと交換品もないですし。逆に交換で新しい万年筆が3本くらい買えるような金額が請求されたりね。だから私は、お客さまとメーカーの橋渡しができたらいいなって思うんですよ。例えばインクは入れられなくてもペン先にインクをつけたら使えるよとかね。今の万年筆のまま残せるのなら、可能性を一緒に探っていきたいと思います。万年筆を買いたいけれど、もし何かあったらどうしようという不安を少しでも軽減させてあげたい。ペン先が曲がっただけなら、直せるから大丈夫だよっていう立場にいたいです」
ーーー万年筆はインクが詰まったらどうしようとか、使い方が合っているかな、とか不安要素を抱えている方も一定数いらっしゃいますよね。
「そうそう。安い買い物ではないですからね。だけど、書いて楽しいというところに持っていってあげたいんですよ。頭で考えたことがそのまま文字になっている。書くっていう感覚じゃなく、頭の中とペン先が直結して動くようになるのが理想。それが万年筆の楽しさだし、書く面白さだから」

ーーー「長原さんに調整してもらいたい」という声を伺うことも多いです。
「そう言っていただけるのはありがたいですね。目の前に座ってくれたお客さまを笑顔にするっていうのが私たちの仕事。『こんなに変わるんだ』、『思う通りの線が引けるようになりました』と言っていただくときが、1番です。新しいものに買い替えかなとか、もう交換品がないと言われたときに、思い出して欲しい。相談してくれたら、思い入れのある万年筆を残しておける方法が見つかるかもしれませんよ」

お気に入りの1本:セーラー万年筆/ 非売品
これはセーラー万年筆時代に、不良品を集めて作った1本です。良品にならなかったパーツは全部処分するのですが、それを拾い集めて完成させました。世界に1本の完全オリジナル品です。

お気に入りの1本: The Nib Shaper NAGAHARA MODEL #1(ニブシェーパー オリジナル万年筆)
構想から長い年月をかけて、やっと完成したオリジナル万年筆です。ペン先は18金ニブを搭載して、丸玉仕上げにしています。調整は承りますので、お客さまのご要望に応じたペン先に仕上げます。完売してしまったので、#2にご期待ください。
PROFILE

長原幸夫
セーラー万年筆に在籍していた頃から万年筆ペン先職人として全国各地でペンクリニックを開催。2020年に独立し、「ペンクリニック(ザ ニブ シェイパー)」をスタート。国内に留まらず、世界各国から届く万年筆のお悩みに応える。イベントでの調整のほか、郵送での依頼も可能。
文・構成/中山夏美 撮影/長岡信乃介