世界の本屋さん スイス・チューリヒ編〈Never Stop Reading〉
スイスで最も人口が多い都市、チューリヒ。
人々を中世の時代へ誘う旧市街や、チューリヒ湖の背景に映える山々は、まさに絵葉書のよう。
ここの路地に、建築、絵画やデザイン、写真や文学といったアート系の書籍を中心とした本屋〈ネバー・ストップ・リーディング〉が溶け込んでいる。
シンプルな出入り口をくぐると、色鮮やかな本の数々、そして、壁に飾られたプロの芸術家による作品群が視界に入ってくる。縦長の空間は古風なデザインの床で、奥の壁はタイル製だ。どことなく倉庫っぽいと思ったら、なんと元々は精肉店の裏の加工場だったと聞き、納得。
店内は、ちょっとレトロな劇場のような雰囲気も醸し出している。実際、新刊イベントや、年に10回程度行う写真やアート展示のオープニングセレモニー時、ここはイベントホールに変わり、たくさんの人が集まる。
「一風変わった本」に出合える隠れ家
店は2017年春にオープンした。チューリヒに4、5件あったアート系の本屋が1つ、また1つと消えて久しい時だった。西洋のアートの巨匠たちを撮影した、エルンスト・シャイデッガー氏が設立したチューリヒの出版社「シャイデッガー&シュピース(Scheidegger&Spiess)」が「この町にはアート系の本屋が再び必要だ!」と新しい拠点を探し、この地に決めたのだった。
「シャイデッガー&シュピース刊行の本、そして、建築や都市の生活様式の分野の出版に力を入れているパーク・ブックス(Park Books)の本を中心に、様々な出版社から吟味して、大型店では見かけない“ちょっと変わった”本を数多く揃えています」と、共同責任者のトーマス・ヴィース(Thomas Wyss)さんは語る。
スポーツやアート分野での長年に渡る記者経験を携え、3年前に〈ネバー・ストップ・リーディング〉のチームに加わった。もう1人の責任者は、ウルス・シリガー(Urs Schilliger)さんだ。
アート系の中でも、建築の本の充実度は目を見張る。東京の国立西洋美術館を設計した、近代建築の父ともいわれるル・コルビュジエ、スイスの山奥にある温泉施設、テルメ・ヴァルスの設計で世界的に名高いピーター・ズントーなど、スイスの建築家の本から、ニューヨークの建築事務所が手掛けた最先端の建築事例集までが、ずらり。
また、近年注目されている「環境配慮型建築(エネルギー消費や資源使用を抑え、自然への負荷を最小限にした建築)」についての本も揃っていて、探求心を刺激される。
意外かもしれないが、スイスの建築教育は世界のトップレベルで、町の雰囲気や自然と一体化するような建築物も世界の注目を浴びている。一般の人たちの建築への関心度も高く、例えば、チューリヒで毎年開催される200か所近い建物(オフィス、学校、住居など)を無料で見学できるイベントは、予約が殺到するほど大人気だ。
美術の本に目を転じると、美術館のマニアックな企画展のカタログなども置いてあり、絵画ファンやアート学科の学生を惹きつけている。
チューリヒはドイツ語圏のため、店の本の大半はドイツ語だ。ただし、本棚のどこを見ても英語の本が置かれている。とりわけ英語の小説のコーナーには力を入れており、観光客を中心にここに引き寄せられる人も多いという。
装丁やデザインの優れた本がよりどりみどり
アート系の本屋を標榜するだけあって、〈ネバー・ストップ・リーディング〉にはデザイン性の高い本が多い。トーマスさんに話を聞く前にしばし眺めていたら、たくさんの美しい本に心を引き付けられた。「精彩を放つ本を置くことが、この店の原点です。例えば、私たちの自転車関連書籍は一味違います。マウンテンバイクの本や自転車の旅の本を置く本屋は多いですが、この店のお客様たちは、スポーツや旅行の視点ではなく、自転車の芸術性やデザイン、自転車にまつわる優れたストーリーに焦点を当てた本を求めていらっしゃるんですよね」
ドイツのブッヒャーギルデ・グーテンベルク(BüchergildeGutenbeg)の本も置いてあり、「どれも洗練されたデザインでしょう」とトーマスさんはニッコリする。この組織は、基本的に会員向けに直接販売する形態を取っており、1924年に設立された(一時はチューリヒに拠点を移したことも)。労働者階級のために、質の高い本をオリジナル版とは異なるデザインで、店頭価格よりも安く買えるように制作。その理念のもと、丹念な装丁や入念なタイポグラフィ(ストレスなく読めるように書体や文字の配置を工夫する手法)の本を世に送り出している。
また、日本に関する本も目を引いた。
「日本の書籍のコーナーは、重要なセクションの1つです。多くの西洋人にとって日本の文化全般は新鮮で、胸を打たれます。私自身も日本の映画や音楽に非常に興味があります。ディスプレイにも気を遣っていて、定期的に本の配置を少し変えて、お客様が何度来ても、ここが創意あふれる空間だと感じてほしいと思っています」
感性を刺激する本が必ず見つかる
大々的に宣伝はしていないが、「びっくりさせられる本がいっぱいある」「写真やアートの展示が刺激的だ」と口コミがどんどん広がり、地元の常連客だけでなく、今では噂を聞いた観光客やアーティストもやって来る。彼らの大半は買う本を事前には決めていないという。
「皆さん、ページをめくってみて、本からインスピレーションを得て買う本を決めたいんですよね。常連客は、買いたくなる本が必ず見つかると言いますね。国外の観光客は、自分の感性に合う本が多くて、こんな本屋が自分の町にもほしい、チューリヒの人たちが羨ましいと言ってくれます」
嬉しそうにそう教えてくれたトーマスさんは続けてこうも語った。「大事なのは“この本が好き”と、皆さんに思っていただくこと。そのためのアドバイスはお任せください。本を買わずに帰っても、まったく構いません。本を見て回るだけで、来た時よりも幸せな気分になってもらえれば、それでいいのです。私は、レコメンドやイベントの案内を載せるメールマガジンの執筆も担当していますが、本とは関係のないエピソードもお伝えしています。気軽な立ち話をするために立ち寄る常連客もいます。私にとって、書店員と、よくいらっしゃるお客様やふらっと寄った方たちとの関係は、販売数と同じくらい大切です」
つい最近は、プロのサッカー界で超がつくほどの有名人、イングランド代表コーチのトーマス・トゥヘル氏が店に現れた。旅の途中であまり本が買えず残念だから、またチューリヒに来たら必ず寄ると言い残したという。
「彼はもう来ないかもしれません。でも、楽しい本に囲まれてすごくワクワクしたと言ってくれました。訪れた人たちが、また来たいと思ってくれるような個性的な店であり続けたいですね」
隠れ家のようなこの店のことは、今回取材するまでまったく知らなかった。私もネットで情報を集めることが増えたが、アート系の活字や印刷の世界はやはり特別。お気に入りのカフェに行った時のように帰り道の足取りは軽く、「近いうちに、〈ネバー・ストップ・リーディング〉にまた行こう」と考えていた。
文・写真/岩澤里美
※本記事は『八文字屋plus+ Vol.11 冬号』に掲載されたものです。
※記事の内容は、執筆時点のものです。Buchhandlung Never Stop Reading
URL: www.neverstopreading.com/
Address: FSpiegelgasse 18 / Untere Zäune 8001 Zürich Schweiz (Switzerland)

岩澤里美/Satomi Iwasawa
英国の大学院留学を経て、チューリヒ(ドイツ語圏)を拠点に、長年、フリーランスで記事を執筆。サステナビリティ(環境)、アート、旅の話題に特に惹かれ、フットワークの軽さを強みに、スイス内だけでなくヨーロッパ各地でも取材を続けている。HP:www.satomi-iwasawa.com